上田市で「三吉米熊生誕150年祭」 信濃毎日新聞webより
養蚕教育の先駆者で小県蚕業学校(現上田東高校)の初代校長を務めた三吉米熊(1860~1927年)の「生誕150年祭」が3月から、上田市内で開かれる。
秋ごろまでの日程で、資料展や生誕記念の式典などを開催する。市民有志らでつくる実行委員会(島喜治会長)は「『蚕都上田』の礎を築いた功績をたたえ、地域の歴史や特色を見つめ直したい」と意気込んでいる。
私と父の母校であり、私の祖父が教鞭を執った場所である。
と言う事で、三吉先生には大恩のある一族である。
三吉米熊先生は、坂本龍馬と寺田屋襲撃の際に席を同じくした三吉慎蔵のご子息であり、
先生の父上が薩摩藩邸に助けを求めに駆け込んでいなければ、坂本龍馬はどうなっていたか…
今はCMで車の後部座席でのうのうと頷いているが…(笑)
上田という土地は、幕末明治期の動きに関するものが残った場所とも言える。
上田藩士で軍学者の赤松小三郎は、佐久間象山、勝海舟といった坂本龍馬と同門であったり、
京都に私塾を開き、薩摩藩に招聘され、桐野利秋・村田新八・篠原国幹・野津道貫・東郷平八郎
樺山資紀・上村彦之丞ら約800人に教授した程である。
しかも坂本龍馬の「船中八策」は、小三郎が提出した「御改正之一二端奉申上候口上書」の内容をまねたものだとも言われる。
そして極めつけは、坂の上の雲でお馴染みの東郷平八郎が、門人として上田城跡公園に記念碑を寄贈しているのである。
こうした立派な歴史遺産がありながら、赤松小三郎の名を付けた歴史コンテンツが全く成長していないのは残念でならない。
結局は、塩田公民館のポルトガル語教室を活かせるか活かせないかと同じで、
現在有る物を有効利用できるかできないかという処だろう。
上田に身を置いていれば、とっくに手を出していたのに惜しい事をした。
